つむぐ


紡ぐ。

繭や綿から何本もの細い糸を縒り合せ一本の糸を作ること

言葉や文章を作るときにも、多くの単語や助詞、形容詞、動詞を慎重に選び組み合わせていくことが、糸を縒り合わせていく作業に似ていることから、「言葉を紡ぐ」とか「言葉で紡ぎだされた世界」など、言葉や文章に対しても使われたりもします。

と、なんだか国語の授業のようになってしまいました。

 

この前、ご利用者の方と、その方の出産の話となりました。

「昔はなぁ、病院じゃなくて、家で産んだの。わたしも、うちの人たちみんな。

うちがずっと前からみんなお世話になってる産婆さんがいてね。わたしの時もその人が来てくれてな。

ほら、湯とか沸かして。

産まれたら、ほら、すぐに、ばーちゃんとか面倒みてくれるだろ。あやしてくれて。(うちで産むのも)いいよぉ。」

何度も何度も、同じ内容を繰り返し繰り返し。

ふんふんと聞いているうちに、ふと一つの記憶がよみがえってきました。

それは、

「あいつは鬼だ!」

という言葉。母方の曾おばあちゃんが父に言った言葉です。

小さいころ母の実家の隣に住んでいたのですが、わたしが1歳の時、父の仕事の関係で引っ越すことになりました。その頃、いつも私たち姉妹をあやしてくれたのは曾おばあちゃんでした。そのころの写真にもわたしをのせた乳母車を押す曾おばあちゃんの姿があります。曾おばあちゃんにとって、自分の曾孫を、自分だけでは行けないところへ連れて行く父は「鬼」だったよう。

たぶん、この話は、母からぽろっと聞いたことで、言われたらちらっと思い出すだろう程度の、本当に埋もれていた話。

 

ご利用者の方の、生まれたばかりの赤ちゃんをあやす「ばーちゃん」に、曾おばあちゃんを思い起こさせたのだと思うのですが。

ご本人は意図として言葉を選び紡ぎだしたというよりは、たぶん、自分の中にある記憶の断片を探しながら、ゆっくりゆっくり、何度も何度もお話をしてくださったのだと思うのだけど、

その、ゆっくりゆっくり、何度も何度も話しかけてくれる言葉たちに、私の眠っていた記憶が紡ぎだされたように感じました。

私の脳みそ、記憶という繭から、ご利用者のお話という手が記憶を縒り合せてくれたような。

 

おかげで、久々に曾おばあちゃんに会えました。