たしか高校受験の年、中学3年生のときに、少しでも内申点をあげることを目的に、ボランティア体験に参加したことがあります。
体験にいった場所は、市内にあるとある高齢者介護施設。
たぶん、いろいろなことをやらせていただいたかとは思いますが、15年以上たった今ではほとんどうすらぼけた記憶…しかし鮮明に覚えていることがたった一つあります。
それは、おやつ。
その日のおやつはポテトチップス。ご利用者各人にポテトチップスたちが配られる中、それはありました。
そう、それは、ミキサー食の方対応の、ミキサーによりどろどろになったポテトチップス。
わたしはポテトチップスが好きです。あの手にまとわりつくジャンキーな調味料たちと、サクサクっとした歯ごたえ。とまりません。
しかし、わたしが目にしたミキサー食チップスにはchips感はまったくありません。たぶん手にもあの調味料たちはまとわりつかないでしょう。
中学生だった私にとってそれは「こんなのポテトチップスではない!!」と、そこまでして食べたいのか!?いや、食べさせたいのか!?と衝撃を受けたのでした。
時を経て、今、わたしはそな~れのという高齢者介護施設で調理場で働いています。そな~れの利用者さんは健啖な方が多いですが、おかゆや刻み食の方、ミキサー食の方も一部いらっしゃり、それに合わせて調理しています。
初めてミキサーにかける作業をしたとき、中学生のわたしにとっての衝撃映像が思い起こされました。
わたしは今、なんのためにこの作業をしているのかと。青菜の触感をつぶし、おいしく煮含まれた煮汁たちを出しつぶし。少しでもおいしく食べてもらえればと調理してきた過程をゴジラのようにつぶしていくミキサー。
ん?
「少しでもおいしく食べてもらえればと」
あぁそうか。
ミキサー食の方にとっては、形をなくしていくことが「少しでもおいしく食べる」ための方法なんだ。
すごく単純で明快な答えが返ってきました。
わたしは「食卓」という言葉が好きです。
そこには単に栄養摂取のために「食べる」という行為だけでないものが含まれている気がするから。卓を囲み、食事を囲み、輪が生まれる。
お留守番の夕食も「あっためてね」のメッセージだけで食卓になる。一人暮らしのごはんも送ってきてくれた漬物だけで食卓になる。ベットの上の要介助の食事も、もぐもぐのリズムに合わせた会話で食卓になる。
ミキサー食はだんだん食べるのが難しくなってきた方にとって、野菜や肉や魚などからの栄養を口を通して摂取できる時間を長くしてくれる、自分は食卓について食事をしていると感じさせてくれる時間を長くしてくれる一つの方法。
過去の衝撃映像の衝撃度が少し和らぎました。
でも、まぁ、どろどろのポテトチップスはいまだにchips!!とは思えないけど。